「主の選び」 03−01−26
ルカ6:12〜16
その日主イエスは、ご自分の側(そば)に置き、伝道のために派遣し、
救いへ導く権威を委ねる「使徒」と呼ばれる12人を、徹夜の祈りに
よってお選びになりました。そこには、後にキリスト教会が成立する
のに、なくてはならなかった人たちの名が連なっています。
世界各地に、命がけの伝道をした人たちの名があります。
しかし、その日、主がお選びになった12人の顔ぶれは、後に
そんな尊い働きをするようになることを予想させるような経験豊富で
落ち着きのある聖人たちではありませんでした。つい最近まで漁師を
していた青年。徴税人として自分の利益を求めて生きていた青年。
過激な国粋主義のグループに属していた青年。まったく素性の
わからない地味な存在でしかない青年たちです。
互いの顔を見ながら、「どうしてあの人が」とか「どうして自分の
ようなものが」といった思いが、生まれたに違いありません。
しかも、彼らはこの後すぐに隠れた才能をあらわすのでも
ありません。福音書に描かれる彼らの姿は、失敗の連続です。
たくさんの不完全さや弱さをもち続けていました。
主の徹夜の祈りによる選びは、不完全さや弱さを知った上での
選びでした。それは、妥協やあきらめによって仕方なく12人を選び
出されたのではありません。彼らのすべてを受け止め、担い、補う
決意が伴っています。彼らの罪を赦す決意が伴っています。
それがあるからこそ、彼らは選び出されたのです。
同時に、彼らを育てる決意が込められています。不完全なまま
放っておかれるのではなく、彼らを側(そば)に置くことで励まし、
道を示し続けられました。何よりも聖霊をお送りになり、彼らを大きく
成長させていかれました。
この出来事には、私たちを信仰者として選び出してくださった
こととの共通点がたくさんあります。
主の徹夜の祈り。受け止め、補い、成長させようとしてくださる
主の決意。私たちはこの主に養われ、整えられて、主の民として、
この世に派遣されて歩むのです。